2025-05

飛鳥・奈良・平安時代

石田三成の先祖は三浦一族の蘆名氏であった。

石田為久は相模蘆名氏の出自 源頼朝の家臣である石田為久は、元々相模国最大の御家人三浦氏の出で、衣笠城で戦死した三浦義明の弟為清が、相模三浦郡蘆名郷(現神奈川県横須賀市芦名)に移り住んで蘆名為清と名乗った。為清の息子蘆名為景が、さらに相模国大...
飛鳥・奈良・平安時代

牛若丸と武蔵坊弁慶の出会った五条大橋は、実は現在の五条大橋ではない。

はじめに  皆さんは、唱歌・童謡『牛若丸』を知っていますか?    【歌詞】 牛若丸『京の五条の橋の上大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて牛若めがけて切りかかる牛若丸は飛び退いて持った扇を投げつけて来い来い来いと欄干の上へあがって手を叩く前...
鎌倉・南北朝・室町・戦国・織豊時代

河尻秀隆よる甲斐統治の謎、果たして甲斐国の領民に圧政をしていたか?

はじめに  先日、自分は私用で山梨県甲府市に行きました。その際、武田神社から甲府駅に戻る途中に川窪町行きあたり、そこには武田信玄火葬塚という墓がり、その前に河尻秀隆の墓と伝えられる河尻塚を見つけまして、見学しました。河尻秀隆は織田信長の家臣...
江戸時代

高島平の地名の由来になった。西洋砲術家高島秋帆による武州徳丸が原での洋式砲術訓練。

(板橋区赤塚の松月院境内にある高島秋帆の功績碑) こんにちは、今日は江戸時代後期の天保期について話します。とこで、みなさまは、板橋区の高島平という場所を知っていますか?現在の高島平は都営地下鉄三田線の終点西高島平駅があり、またマンモス団地の...
鎌倉・南北朝・室町・戦国・織豊時代

等持院の建立の歴史、等持院は「実は足利尊氏の戒名」「京都市内二か存在した。」

 等持院の建立の歴史を話します。等持院は元は京都市中区高倉通り御池昇る柊町にありました。現在は京都府保健事業協同組合ビルの前に石碑があるだけです。当時は、そこに足利尊氏の邸宅がありました。1341年に臨済宗の禅僧の夢窓疎石(むそうそせき)が開山に尊氏邸に「本寺等持寺」を建立。二年後の1343年に現在の等持院ある場所に「別院北等持寺」を建立。つまり等持寺と名乗る寺がが京都二か所誕生しました。 1358年に室町幕府初代将軍足利尊氏が死ぬと、尊氏の遺体を「北等持寺」に葬りました。そのため「別院北等持寺」は尊氏の戒名『等持院殿』から取って、「等持院」に寺名を変えました。その後、応仁の乱で高倉通りにあった「本寺等持寺」は戦火で全焼し、別院「北等持寺」に合併し、現在の等持院になりました。室町幕府滅亡後は等持院は衰退しますが、1606年に豊臣秀頼の命を受けた片桐且元が再建します。  
鎌倉・南北朝・室町・戦国・織豊時代

京都「等持院」に眠る足利尊氏

京都でお気に入りの1つが、京都市北区にある等持院(とうじいん)です。自分は京都に行くたびに等持院を訪れます。等持院の境内には室町幕府初代将軍足利尊氏の墓があり、彼が眠る場所です。また等持院の庭園は、外国人の観光客がごった返す嵐山、清水寺、祇...