等持院の建立の歴史について話します。等持院は、ます元々は京都市中区の高倉通り御池上る柊町にありました。現在は京都府保健事業協同組合ビルの前に石碑があるだけです。当時は、そこに足利尊氏の邸宅がありました。南北朝時代の1341年に臨済宗の禅僧夢窓疎石(むそうそせき)が開山として、足利尊氏邸に「本寺等持寺」を建立。2年後の1343年に現在の北区の等持院ある場所に「別院北等持寺」を建立しました。つまり等持院と名乗る寺が京都に二か所誕生しました。
等持院誕生と等持院その後
1358年に室町幕府初代将軍足利尊氏が死ぬと、尊氏の遺体を「別院北等持寺」に葬りました。そのため「別院北等持寺」は尊氏の戒名『等持院殿』から取って、「等持院」に寺名を変えました。その後、応仁の乱で高倉通りにあった「本寺等持寺」は戦火で全焼し、「別院北等持寺」に合併し、現在の等持院になりました。その後、室町幕府滅亡後、等持院は衰退しますが、1606年に豊臣秀頼の命を受けた片桐且元が再建します。



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